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○ LABEL・・・NORGRAN MG N-27 ○ CONDITION (盤/ジャケット)・・・Aー/Aー * 盤の状態 ・・・・・・・・微細な擦れ少々。 * ジャケットの状態・・・中央底抜け(8cm) ○ 特記事項・・・US Orgi 重量/ビニール・コーティング/録音日:1954年4月22,23日:Hollywood
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■第八章●アフロ・キューバン・ジャズ物語◆キューバとメキシコ時代編【チコ・オファリル】
注)アフロ・キューバン・ジャズ物語は全十六章からなっている(各章はRecord No.と対応している)。
◆Record No.⑧ ◆CHICO O"FARRILL ◆MABO DANCE SESSION (25cmLP)
●チコ・オファリルはJ.A.T.P.の主宰者、ノーマン・グランツの為にアフロ・キューバン・ジャズ組曲(2LP)とジャズ曲(8曲)を除きマンボを前期:19曲(1951年:NYC録音)+後期:16曲(1954年:Hollywood録音)をレコーディングしている。
●本アルバムには後期に録音された2枚の(25㎝LP)10インチ盤16曲の内、8曲が収録されている。
●チコ・オファリルの初期の作品はマチートのメンバーとのコンビで形作られたも同然だったがこの作品にはそのメンバーはいない。1953年に彼自身が初めて独立したこのオーケストラは1年足らずの活動期間(1954年迄)だったがこの足跡からチコ・オファリルの本来の姿を知ることとなった。その後の彼の作品(パナルト、オルフェオン、コロンビア等)でみられるソフトで歯切れの良いダンサブルなラテン・バンドの原形がこの時生まれたのであった。
●1948年から始まったノーマン・グランツのミッションは1954年のこれらの作品をもって全てが終了した。これに関わったミュージシャン達は解散しそれぞれ別の道を歩んでいった。マチート楽団はTICOレーベルへ移籍してマンボを再開しチコ・オファリルは米国を離れてキューバへと渡り(1954年頃)そこで2年間程を過ごした。
●キューバでの主な仕事には下記の通りである。 ①:1956年作:ペルチンらキューバン・オーケストラとの『CHICO"S CHA CHA CHA』(Panart-3013)、 ②:1957年作:カルテート・ラス・ダイーダ『CUARTET D’Aida』(RCA VICTOR-173)、 ③:1957年作:シオマラ・アルファロ『XIOMARA ALFARO』(VICTOR-126)(をプロデュース)、 ④:1957年:デスカル関連・・・、
●そんな最中1957年にオルフェオン・レーベル(1957から1965年)からのオファーが掛かりメキシコ・シティーを活動の拠点とした。メキシコでは米国で叶わなかった彼自身のオーケストラを長きに渡って実現することが出来た。彼はメキシコ人やキューバから亡命してきたメンバーを集めあらゆる人にアピールするインターナショナルな音楽を目指した。その一方でキューバ音楽との絆も深かった。彼のアントバル・キューバン・オールスターズ(1959年~1962年)やアート・ファーマーのアフロ・キューバン・アステカ組曲(1959年)を始めとする後年の名作はここから発信されたのである。
●チコがメキシコを離れ再びNYCへ戻ったのは1965年の事である。そして、古巣のVerveへ返り咲いた。この年(1965年)プラードはアメリカでの人気が下火とななり再びメキシコ・シティー(オルフェオン)へ本拠地を移した。彼は長年専属していたRCAを(1964年に)離れて1955年に最後の長編大作『CONCIERTO PARA BONGO』(UNITED ARTISTS-6489』の録音を終えて帰って来たのである。プラードの勝負曲である最初の『ウ゛ードゥー組曲』(1954年)と最後の『ボンゴ・コンチェルト』(1965年)の作品は奇しくもチコ・オファリルが米国から出入りする年に作られたのも何かの因縁であったかも知れない。